高齢の父親の免許返納の説得をしたときの話。当時の状況と父の反応

高齢者の自動車事故のニュースが増えたことが、免許返納を考えるきっかけになったという方は多いと思います。

私の実家の父親は数年前に亡くなったんですが、それまでに免許返納に関して話し合いをしたことが数回あったんですね。

外野の人間にとっては「高齢なら返納すりゃいいじゃん」と言っちゃえるんですが、本人にとっては非常にナーバスな問題。

わが家が高齢の父親に免許返納の説得をしたときの、父の状況や反応について。

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高齢の父親に免許返納の説得をした話

私は高齢出産で生まれた子供なので、私が30代前半のときに、両親はもう70過ぎ。

私が生まれたときの父親の年齢が40だったので、当時の出産平均年齢を考えると、なかなかな高齢です。

今では珍しくないですけどね。

祖父母の家が遠方だったため、小さい頃は長期休みのたびに、父の運転する車で帰省するのがお決まりパターン。

安全運転を絵にかいたような運転をする人で、もちろん生涯ゴールド免許、ハンドル位置の10時10分を何十年も続けていたくらいに、真面目なドライバーでした。

私が免許をとって運転できるようになっても、交通量が多い区間になると「運転代わってー」と甘えたりもしていたのでした。

私が実家から離れた地で出産をして、赤ちゃんを連れて帰省すると、迎えに来てくれたのもやはり父。

父の運転に私はとても安心していて、自分の運転よりははるかに上手だと思ってたんですよね。

最初に気づいた変化の兆し

子どもが小学生になって母子だけで帰省したある日。

いつものように父が車で迎えに来てくれたんですが、なんてことはない普通の道で「あれ?」と思う出来事が。

実家の最寄り駅は少し入り組んだ道になっていて、ロータリーから出てぐるっと半周まわって公道に出る道順になってるんですよね。

ひらがなの「し」みたいに、カーブを通り抜けてから、十字路があるっていう。

実家への道はその十字路は曲がらず、いわば「し」の道をそのまままっすぐ進めばいいだけ。

なのにその日、父は十字路を左に曲がって、曲がったことに気づかず「あれ?これどこの道だ?」と焦り始めたんですね。

私は曲がったときに「あれ?」と思っていたので「一つ前で曲がっちゃったよ。戻らなきゃ」と。

「曲がってないよ」
「いや、曲がったよ。Uターンしなきゃだよ」
「だから曲がってないって」
「いや曲がったからこの道に来ちゃってるんだってば」

どう考えても違う道であることは確かなので、しぶしぶUターンして元の道に。

父は納得していない表情でしたが、なんとか気分を持ち直して実家に到着しました。

このときの父の年齢が70歳。

そのときはそれほど深くは考えていませんでしたが、これが免許返納を考える最初のきっかけになったのかなと思います。

徐々に増えていくヒヤリハット。便利さとリスクを考える

普段の生活ではとても元気だったし、物忘れもほとんどない。

近所の人と登山を楽しみ、母と散歩したり本を読んだり、寺巡りをしたりと、わりとアクティブな生活を送っているようでした。

ですが徐々に増えていく、運転時のヒヤリハット。

問題なのは、同乗者は確実にヒヤヒヤする場面を、父本人は大丈夫だと確信していることにありました。

例えば、右折時の対向車との間隔が、前よりもけっこう近い。「今行くの?!」で行っちゃう。

かと思えば、かなりの低速で走る。

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毎回そうだというわけではないんですが、車幅とスピード感覚が狂ってしまうことがあるんだなということは、たまにしか乗らない私にも分かるようになっていました。

母に聞いてみると、「そうなの。ときどき怖いんだけどね、指摘すると余計に焦るみたいだから。」

2019年の警視庁の免許統計によると、免許返納者の平均年齢は76.96歳。

70歳を超えると高齢者講習が必要になり更新期間が短くなるため、70歳を過ぎたあたりから返納者が増えるのだとか。

うちの父の場合はまだ平均年齢には達していなかったものの、世間では高齢者の自動車事故をチラホラと聞くようになっていました。

何かあってからでは遅いので、そろそろ移動手段を車から他のものに変えるべきではないかと思い始めました。

うちの実家はですね、最寄り駅からも遠い郊外にあるんですね。

各世帯、人数分の車を保有することが当たり前のような地域で、車なしでは生活が格段に不便になります。

買い物一つとっても、車がなければ一大イベントのような。それこそ、病院に行くのすら1日かかるよねっていうくらい。

こういう環境に住んでいると、免許返納は生活そのものを変えてしまいます。

実家の近くに住んでいる姉夫婦に手助けしてもらわなければ、成り立たないことも増えてくるはず。

遠方に住んで手助けできない私が「返納してよ」と言ったところで、両親の不便さと姉夫婦のサポートなくしてはどうにもならん。

高齢者の免許返納説得は自尊心を傷つける

親の免許返納を説得するうえで、もっとも気遣うのがこの点ではないでしょうか。

同乗者をときにハラハラさせる父の運転ですが、高齢者講習では「50代くらいの注意力ですね!大丈夫です」と言われたのだとか。

だからと言って私たちの心配がぬぐえるわけではないのですが、父本人は嬉しそうにしていたのを覚えています。

何をもって50代っていうのかは知らんが。

免許を返納するということは、高齢者にとって「できないことを一つ増やす」という作業なんですよね。

それによって、老いという烙印を押されたような気になってしまう。

まだアラフォーな私ですが、この感覚はよく分かる。

物覚えが悪くなって老眼が始まって、体力がなくなってることを実感して、「ああ、年取ったなぁ」と自分で思うのと、他人から「年取ったから免許返納したほうがいい」と言われるのでは、違う。

まだできると思っている仕事を無理やり取り上げられるような、もう自分には何も残らないような、そんな気になってしまう。

「ほら、この人の自動車事故、お父さんと同い年じゃん。もうすぐ運転やめてもいいかもね」

「まだ大丈夫だよ!運転やめたら病院連れていけなくなっちゃうじゃん」

「バスで行けばよくない?」

「寒い中をお母さんにバス停で待たせるのはかわいそうだろ」

病気を機に運転から遠ざかることに

軽く免許返納の説得はしていたものの、実際には「大丈夫」で潜り抜けられていたんですが、ある日、父が病気で通院生活を送ることに。

それが運転をやめるきっかけになりました。

運転の途中で手足がしびれたりすることも考えられたので、父自身も納得してのことでした。

しかし「免許返納」ではなく、あくまでも「運転をやめる」

運転免許証を返納することはずっと嫌がり、運転をしなくても免許の更新には行っていました。

家族の希望は運転をやめることであって返納ではないので、それはそれでいいかと。

病院の行き帰り、私や姉が運転する車の助手席に乗り「ちゃんと前を見ろ」だの「スピード出し過ぎだ」だの文句を言う父を、腹を立てながらも嬉しく思う。

自動運転の車の普及が早かったら、父の運転人生はもっと長くなっていたのかなとか。

はたまた、「免許は○○歳まで」と決まっていれば、父の気持ちがモヤモヤすることもなかったのかなとか。

思ったりもするけどさ。

高齢の父親の免許返納はきっかけがなければ難しい:まとめ

わが家の場合は、通院、薬の副作用というきっかけがあったので、比較的スムーズに運転をやめることができました。

ですが、こういうきっかけがないまま、本人が大丈夫だと思っている状態での免許返納は、かなり難しいだろうと思います。

生活環境が車ありきのものであるなら、なおさらそうです。

そのきっかけが、事故でないことを祈るばかり。

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