習い事で子どもの性格は変わるのか?消極的さを改善したくて4年通わせた結果

習い事に求めることは人それぞれですが、ときには子どもの性格を変えることが目的になることもあります。

「内気な性格だからもっと社交的になるための習い事を!」

「せっかちな性格だから丁寧さが身に付く習い事を!」

自分の子どもの短所というか、そういう部分を補うために習い事をするというのはよくある話。

それで子どもの性格は変わるのか、私が4年間、子どもに習い事をさせた結果思うこと。

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内気で消極的な子どもの性格を変えたくて始めた習い事

うちの次女はとにかく内気で消極的で、見ていてもどかしくなるほどでした。

自分がしたいと思っていることを人前で表現できないし、積極的に友だちと遊べないし、声も小さい。

はきはきと話せないし、テキパキと動けないし、いつももじもじもごもごしてる。

せっかちな私にとっては、見ていてイライラすることも多く、子どもの行動が理解できないことも多々ありました。

その一方で、やらなければいけないことはコツコツと最後までやり遂げることができます。

負けず嫌いな面もあり、人から見えないところで隠れた努力をすることができます。

自分を犠牲にしても、相手に喜んでもらえたらそれでいいと思える優しさもあります。

ですが私はどうしても短所が気になって仕方なくて、短所が解決できるであろう習い事を始めることにしました。

その習い事は「自分の意思を人前で表現する必要」があり、「声を大きくする必要」があり、「はきはき」と話し、「テキパキ」と動かなくてはいけない習い事です。

武道の一つなので、先生方は礼儀作法にも厳しく、上記のことがきちんとできなければ子どもであろうと女の子であろうと、しっかりと怒られるというスペシャルボーナス付き。

「これに慣れたら、もっと積極的になるかもしれない!」と、期待を膨らませての入会でした。

子ども自身はその習い事は、「やりたいわけじゃないけど、特にやりたくないわけでもない」という凪の状態。

おそらく、私がしようと言い始めなければ自分から興味を持つことはなかったのではないかと思います。

習い事を始めて4年、子どもに変化はあったか

習い始めてから4年たつ今は、いろいろと変化を感じることが多いです。

・今までは移動するのだけでもモジモジしていただが、サッと走って動けるようになった

・人に聞こえるくらいの音量で話ができるようになった

・初めてのことでも「とりあえずやってみる」ということができるようになった

これでも4年たった最近に実感できるようになったことで、最初の1~2年はどうにもならない状況でした。

最初の半年くらいは、お稽古場についても誰とも一言も話をせずに終わっていました。

1年後、やっと話ができる子ができましたが、一言だけ話ができればいいほうでした。

「まだこの習い事に慣れてない」と聞いたのもこのとき。

1年通って慣れないなら、いったいどれだけ期間が必要なんだろうとハラハラしました。

2年過ぎたあたりから自分よりも後に入会してくる子たちが増えてきて、しゃべらないなりにも先生方から認知され始めました。(それまでは名前すら覚えてもらってなかったのです。)

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名前を呼ばれるようになってからは、お稽古に身が入るようになり、上達も早くなったように思います。

とはいえこういう性格なので、他の子と比べると上達は遅いです。

でもゆっくりとゆっくりとですが、着実に歩んでくれているので喜ばしい限り。

子どもの苦手克服のための習い事の意味

さて、私が子どもにこの習い事をさせようと思った根底には、私自身が感じたもどかしさがあります。

「なんでもっとみんなと楽しく遊ばないんだろう」

「なんでもっとみんなみたいに活発に動けないんだろう」

もっとも端的に言うならばこれは親のエゴで、みんなと一緒だと安心だよねっていう昭和的な思想によるものです。

こういう気持ちがきっかけになっている限り、「4泳法できたらやめようね」というスイミング的な位置づけではないわけですね。

技能ではなく性格を意識してしまうと、親が思う子ども像が前面に出てしまいます。

で、私は当時も「本当はこういうのダメだよな」って思いながら習わせていたし、今、変化を実感してもなお、本当は良くないのかもなって思っています。

内気なことも消極的なことも、本当はちっとも短所なんかじゃないと分かっているからです。

だけど誰もが思う典型的な子ども(みんなと仲良く遊ぶよ!誰とでも明るく話せるよ!的な)になってほしい欲望があるから、本人の適性とか願望とかまるっきり無視して習い事を始めさせちゃうことがしばしばある。

親が良しと思わない面も含めて子どものすべてを受け止めることが正しいのであって、私みたいに「これもできたほうがいい」「ああいうことも慣れたほうがいい」とやらせちゃうのは間違っているのかもしれません。

習い事での変化は本質的なものではなく外側だけ

やらせた習い事に関しては、大きな声も出るようになったし姿勢も良くなったしたくましくなりました。

前のことを考えると想像できないくらい、はきはきとできるようになったと思います。

ですがその変化は外側だけで、本質的な性格が変わるわけではありません。

中心に近づけば近づくほど、やっぱり内気で消極的でモジモジしています。

もちろんそれが悪いわけではなく、なんていうか、外側の形だけが変化して、円ではなく多角形になったようなイメージでしょうか。

今までは、多数の人の前に立つと間違いを恐れるあまりに何もできなくなってしまう子でした。

ですが今は、「間違ってもいいから動かなくてはいけないときがある」ということを知ったようです。

いや語弊があるかも。「間違うよりも動かないほうが怒られることがある」ということを知ったっていうほうが正確かもです。

少しづつ合理的な判断をし始めたというか、こうしたほうがいいよねっていう考え方が身についてきたのではと思います。

子どもの性格の不安点を解消するために習い事をするのなら

まずは、「子どもが嫌がらない習い事である」というのを前提にしないといけません。

じゃないとそもそも子どもがやろうとしてくれないので、改善うんぬんの前にやめるかどうかが常に議題にのぼる状態になってしまいます。

そのうえで、

・長期的に考える

・本質が変わるとは思わない

・基本的には子どもの性格すべてを受け入れる

という意識が大切なのかなと思っています。

今のところわが家は、従来のコツコツ型がようやく日の目を見て、褒められることが嬉しくてモチベーションが高まっています。

誰よりもがんばっているように見えるけど、フタを開けると内気な女の子だし、それはそれで全然かまわないんですよね。

習い事で得られるのは、性格の変化ではなく考え方の変化ではないかと最近思うのである。

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